「こころ」夏目漱石


カメリア(椿)が好き

赤い強い色をぽたぽた点じていた椿の花

赤い強い色をぽたぽた点じていた椿の花。漱石は意外に花に心象風景を語らせている。時にそれは金木犀だったり、他の小説では百合だったり。

この写真にちなんで、こちらを紹介したい。

こころ夏目漱石
(新潮文庫)

漱石が伝えたかったものは?

記憶が定かでなくネットで調べたのだが、夏目漱石「こころ」を国語の授業で受けたのは、中学3年ではなく高校2年だったのだろうか? いずれにせよ、当時も今もその年齢で、この内容(漱石が伝えたかったもの)を理解するのは難しいのでは?

と言いつつ、Kは何者なのか?という当時の自分の疑問も30年!経って解明できた。

  • 上 先生と私
  • 中 両親と私
  • 下 先生と遺書

教科書に掲載されていたのは、「下」の一部だったかと思う。

Kが何者?もあるが、「私」も誰だったのか解明される。まずは「上」で客観的に「先生」を表現させる。

傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づく程の価値のないものだから止せという警告を与えたのである。他の懐かしみに応じない先生は、他を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものと見える。

花の描写、自分わりと好きで気になる。当時の作家で比べると、漱石は多い気がする。

先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿の花はもう一つも見えなかった。先生は座敷からこの椿の花をよく眺める癖があった。

そして先生、意味深いことを吐く。

「(略)平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断が出来ないんです」

まあ、想像はつく。先生も他人のことは言えないから、こういうセリフを吐いてしまう。

ここからは、私が両親のいる田舎に帰っての私のセリフ。嫌いという思いに共感はできるが… 人それぞれだから、良い悪いで言えるものではない。だけど、明治時代でもすでにこういう人間関係が存在しているという点が、漱石の小説が時代を経ても読める理由なんだと(自分は)理解している。

私は田舎の客が嫌だった。飲んだり食ったりするのを、最後の目的として遣って来る彼等は、何か事があれば好いといった風の人ばかりいた。

いつの時代も財産分与は難しい。

その先生は私に国へ帰ったら父の生きているうちに早く財産を分けて貰えと勧める人であった。卒業したから、地位の周旋をして遣ろうという人ではなかった。

「下」は「先生と遺書」というくらいだから、結末はもうここでは触れない。Kの説明はここである。一番気の毒なのは、やっぱり先生の妻(さい)だと思うし、自分の意見は「先生は生き続ける(生き延びる)」のが使命だと思う。

香をかぎ得るのは、香を焚き出した瞬間に限る如く、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にある如く、恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです。

とか、ちょと甘いことを格調高く言う一方で

女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われますから。

結構女性に対しては手厳しい漱石先生だったりする。

(自分の勝手な義務感として)日本人として生まれたからには、夏目漱石前期3作&後期3作は読了したかった。

自分再読好きだから「坊ちゃん」「吾輩は猫である」は読んでも、精神的には重いもので(正直)これらははもう読まない(と思う)。だけど「草枕」「虞美人草」は読んでみたい。精神ではなく人間社会や時代を描いているものを読みたい。

自分、お疲れさまでした。

この1冊でした

こころ (新潮文庫)

 

こころ (新潮文庫)

  • 作者:夏目 漱石
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/03
  • メディア: 文庫