世の中のトレンドとは無関係に、何か1920年代の西洋(アメリカ or ヨーロッパ)を感じたく、積読からリンドバーグを発掘してきた。
タイトルは訳者が気を利かせて?日本人が好みそうな意訳になっているが、原題はそのまま「The Spirit of St. Louis」らしい。なかなかにアメリカぽい選択で良い。
簡単に背景に触れておくと、単葉機という一人乗りの軽自動車のような飛行機で
1927年5月20日のニューヨーク、ルーズベルト飛行場の離陸から、5月21日にパリのル・ブルジェ空港に着陸
という大西洋横断飛行をなしとげた、身長190センチ以上のイケメンなチャールズ・リンドバーグ本人による回想録である。
- 著者:チャールズ・リンドバーグ
- 訳者:佐藤亮一
- 旺文社文庫
翼よ、あれがパリの灯だ(上)
自分の下手な説明より、文庫本紹介から引用。
航空機が発達していなかった当時、大西洋を無着陸で横断することは、飛行家たちにとって一つの大きな夢であった。一九七二年、当時無名の青年飛行家リンドバーグは、単発単葉の小型機ザ・スピリット・オブ・セントルイス号を操縦し、単身この壮挙を行なった。ある月明かりの夜、郵便機の機上でふと思いついた青年の夢が実現したのだった。本書は、あの名高き事件の全記録である。
実際にと飛び立つまでの第一部、かなり面白かった。プランを練って資金集めをする様子が、まさに今の時代で言うベンチャービジネスの資金調達そのもの。
アメリカ中西部(と言ってもぴいんとこないが)セントルイスで多くの援助を得て、実現に漕ぎ着ける。それに感謝して、The Spirit of St. Louis と命名されたのだな。
第一部
- 1 セント・ルイス=シカゴ間郵便飛行
- 2 ニューヨーク
- 3 サンディエゴ
- 4 国内横断飛行へ
- 5 ルーズベルト飛行場
第二部
- ニューヨクからパリへ
第二部は飛行時間34時間のうち、出発から10時間までの様子が回想を交えつつ描かれているが… 読む方も気が遠くなるよ。
翼よ、あれがパリの灯だ(下)
下巻も文庫本紹介から引用。
ニューヨークのルーズベルト飛行場から、パリ郊外ル・ブルージェ飛行場まで、大西洋を越えて三六一〇マイルを、三三時間三十九分で飛行したリンドバーグの快挙は、飛行機が発明の舞台から実用性への舞台へと進んだ時期の、記念碑的事件であった。本書はこの事件を記録するばかりではなく、二〇世紀初頭の飛行の実際と、飛行士の生活を、あますところなくう伝える記録文学の傑作である。
読者の自分はリンドバーグの眠気とトイレが気になりつつ、ヨーロッパのアイルランドだかイギリスだかの地形が見えて来ると、さすがに読んでいる方も興奮してくる。長かった。
- ニューヨークからパリへ(つづき)
- 追記1
- 追記2
- 著者あとがき
- 解説
- 大西洋横断飛行の航跡
- 『翼よ、あれがパリの灯だ』を読んで
- 年譜
- セント・ルイス号の構造
- セント・ルイス号の主要性能
- あとがき
厳密に言えば世界初の無着陸大西洋横断ではないらしいが、単独で(軽自動車のような飛行機で)ニューヨーク〜パリ間という大都市を飛行したという点では世界初らしい。
しかし、偉業を成し遂げた後のリンドバーグの人生は、長男が誘拐事件で殺害されるという悲劇もあり、なかなかに大変な人生だったようだ。
The Spirit of St. Louis はワシントンのスミソニアンの国立航空宇宙博物館に展示されているようだが、エノラ・ゲイに気を取られてノーマークだった。残念だ、実物見たい!1997年に訪れたときの画像を載せておこう。もう一度行きたい。
「海からの贈り物」
こちらは、併せて読んでみたいと思っていたリンドバーグ夫人の著作。
- 著者:アン・モロウ・リンドバーグ
- 訳者:吉田健一
- 新潮文庫
(意識高い女性による女性のための)エッセイのような1冊。薄いから数時間で読めてしまう。
自分はあまりこういうエッセイは読まないのだが、訳者が吉田健一だったので読んでみた。このような作品を訳すというのは、吉田健一氏はわりと女性軽視の少ない男性だったのかなとか。
下世話な推測だが、リンドバーグ氏は絶対当時もモテたと思うわけですが、なぜこちらのアン・モロー女史と結婚したのかと推測すれば、モロー女史自身の魅力以外に裕福な実家であったことも魅力だったのではないかなとか。しかし、wikipedia でみる12歳のアン・モロー少女は、漫画キャンディ・キャディのイライザ風のイライザ巻が似合う教養もあるお金持ちのお嬢さんに感じられる。ふむ。
目次は次のとおり。
- 序
- 浜辺
- ほら貝
- つめた貝
- 日の出貝
- 牡蠣
- たこぶね
- 幾つかの貝
- 浜辺を振返って
- あとがき
ほら貝
事象を貝に見立てて語る。
なぜ、女で聖者だった人たちが稀にしか結婚しなかったかを理解する。それは私が初め考えていたように、禁欲とか、子供とかいうこととは本質的には関係がなくて、何よりもこの気が散るということを避けるためだった。
つめた貝
テクノロジーとの関わりあいにも触れる。
我々は今日、一人になることを恐れる余りに、決して一人になることがなくなっている。家族や、友達や、映画の助けが借りられない時でも、ラジオやテレビがあって、寂しいというのが悩みの種だった女も、今日ではもう一人にされる心配はない。
牡蠣
結婚生活を牡蠣に例えるのは秀逸だった。
牡蠣は確かに、結婚して何年かになる夫婦生活を表わすのに適した貝のようである。それは生きて行くための戦いそのものを思わせて、牡蠣は岩の上にその位置を占めるために奮闘し、その場所にしっくり嵌って、容易なことではそこから引離すことはできない。
浜辺を振返って
1900年代もテクノロジーは大きく進展したから、人々の生活に及ぼす影響も大きかったろうに。
そして私たちもその同じ伝統の下に育ったのであって、それが今日ではもう通用しなくなったのは、私たちの生活の範囲が時間と空間の全体に拡げられるに至ったからである。
それでも、夫が婚外子まで作る愛人との関係が始まりつつある時期の1955年にこの作品を発表しているのは、六人もの子供を生しつつ、どうしても埋められない溝をも感じていたのかなと。一方でテクノロジーの進化に対して、人間としての違和感をも訴えているが、それは十分現在の世の中にも当てはまると痛感した。
リンドバーグ夫人は、裕福なお嬢さんというだけでなく、なかなか自立心のある魅力的な女性だなと思った。