「ハックルベリ・フィンの冒険」マーク・トウェイン

トム・ソーヤとハックの物語は奥が深かった

「E.W.Kemble 1884」とクレジット
「E.W.Kemble 1884」とクレジット

昭和生まれには、テレビアニメの影響が大きいかもだけど、それ以上に文学的な作品であった。

文庫概要

タイトルハックルベリ・フィンの冒険
著者マーク・トウェイン
訳者刈田元司
出版社旺文社文庫

表紙や挿絵は原書より転載(のようだ)。

表紙には「E.W.Kemble 1884」とクレジットらしきものがある。

内容紹介

昭和の文庫本だから私好み(字が小さい)の仕様で500ページ近い、それなりに読み応えがある。

1972年生まれの自分はテレビ番組「トムソーヤの冒険」を観て育っているだけに、トムソーヤの親友としてハックの存在を記憶している。なので、二匹目の泥鰌(二番煎じ)かと思って読むとかなり違う。

あとがきや解説の類でも、著者はトムソーヤよりもむしろこちらハックの方に思い入れが強いと説明している。と、少しばかりの先入観を持って読んでみた。

42章の章立てで構成、場所はミシシッピ川流域、ときは四十年から五十年前、とあるが、ようするに1835~1845年のころらしいので、すでに150年以上むかし。

三、さんざんな小言

一応トムソーヤの冒険の後日譚になっているが、ここで改めて理想主義のトムと現実主義のハックの違いを感じる。

そこでおれは、ああいう話はみんなトム・ソーヤーの嘘のひとつにすぎないと判断した。トムはアラビア人や象を信じていたんだろうと思うが、おれはちがった考えだ。どう見ても日曜学校くだいところがあった。

実は最後にまたトム・ソーヤ―が登場する。そこを議論する(登場すべきでないとする)研究者が少なくないらしいが、読了後自分は著者同様、登場すべきだと思った。

十五、ハック筏を見失う

この小説での重要なテーマらしい。19世紀におけるアメリカ(特に南部)での黒人との関わりであるが、生粋の日本人にはなかなか想像の及ばない部分もある。

ハックが黒人の気持ちに寄り添っている点が、ポイントらしい。

ニガーなんかにあやまりに行く決心のつくまでに十五分もかかったんだが――とにかくおれはそれをしたし、あとになってもそのことを後悔しなかった。それからもうジムに卑劣ないたずらをしなかったし、今度のいたずらだって、もしジムがあんなふうな気持ちになることがわかっていたら、やはりしなかっただろう。

二十四、王衣を着たジム

全体の2/3ほど締める重要な登場人物なのだが… 先の黒人と対比もして描かれる。ここは著者の人を観る目による人物描写となる。

こういうひどいペテンには、本当に生まれてはじめてぶっつかった。人類というものが恥ずかしくなるようなことだった。

ということで、ストーリーを説明してないので、小説紹介にはなっていなくて恐縮だが、トムソーヤの冒険とは著者の言いたいことが異なり、それでいながら低音通奏(←言葉を造った)のようなつながりが良い。

昭和生まれの反応

同じく1972年生まれのバレエダンサー・熊川氏が、「トムソーヤの冒険」に言及していたので軽く紹介。

  • 2022/3/24 日経新聞夕刊 こころの玉手箱
  • 第2回公演『トム・ソーヤの冒険』<世界初演>

    下記はwikipediaでの記載だが、

    バレエの偉人や作曲家に関する古書などのコレクションを収集。書店街での収集の過程では偉大な歴史の片鱗に遭遇する事もあると語っている。ベートーヴェン「第九」の1826年初刷りの楽譜、チャイコフスキーの自筆譜など世界的にも希少価値が高い資料を所蔵。その理由として、「芸術家が生きた時代につくられたものに触れるだけで、先人の存在が現実となり、ごく身近に感じることができるから」と語っている。

    熊川氏の意外な一面に触れた。

    この1冊でした(Amazon)

    まだまだ新訳が出るというのは、読み継がれるということかと。新訳も読んでみたいが、それをしていたら積読は解消されず、自分の人生が先に終ってしまう。いろいろな方が訳しているけど、一番読んで見たいのは柴田元幸氏の訳!