「貴三郎一代」有馬頼義

文学作品としてはやや物足りないけど、映画化となれば盛りだくさん!

カバー 東光寺啓
カバー 東光寺啓

前作品紹介から時間が経ってしまったが、杉並区とゆかりの深い旧久留米藩主有馬家の第16代当主による小説の2作目。

文庫概要

タイトル貴三郎一代
著者有馬頼義
出版社旺文社文庫
この写真にちなんで、こちらの文庫を紹介したい。

カバーも前作同様に、東光寺啓氏によるもの。

内容紹介

前作品紹介の「遺書配達人」は復刊されているようだけど、この作品は現在でも読まれるかしら?

つまるところ… 文学作品としての読み応えには少し物足りないものの、反戦というメッセージを含んだ映像化作品としては楽しめる要素をあわせ持った作品ということでしょうかな。

簡単にあらすじを言ってしまうと、大宮貴三郎という一匹狼で図体の大きい男が新入兵としてマイペースで軍隊生活を送ると同時に、騒動を起こしながらも不条理に立ち向かう話を、要領の良い主人公(私)が狂言回しとなって話が進んでゆく。

  • 貴三郎一代
  • 兵隊と馬と虱
  • 裸の街
  • 公用腕章
  • おんな
  • 冬将軍隷下
  • 臍酒
  • 告白
  • 遺骨宰領
  • 走れ、貴三郎
  • 営倉
  • 白夜
  • 賭ける
  • 解説 古林尚

裸の街

え!この描写は…(想像力を逞しくしていただきたい)

(略)三十貫近い二人の男の容積は、音丸の部屋を、ふくれ上がらせたように感じられた。私は、音丸が、――十何年、この商売できたえられてき、そして再び、堅気にもなれず、南へも帰れず、人生にふてくされていた末に、少女のように、顔を赤らめ、そむけ、大宮に抱かれている姿を、一種の感動を覚えながら見つめていた。

慰安婦ではないが… 兵隊相手に身体を提供する女性(貴三郎のステディ)音丸にも感情を持たせつつ、割と3Pもありのちょっと刺激が強い描写も絡め、

みんなが、それぞれの不幸の中で、生きようとしていたのだ。

ということを表現していた。

冬将軍隷下

これは「遺書配達人」でも通づるのであるけど、

そう言った瞬間から、私は、えたいの知れない自己嫌悪におそわれはじめた。私は、兵隊になるまで、人を憎むということを知らなかった。これを知るために、私は軍隊へ、――言いかえるならば、私は軍隊へ来て、これだけを知ったのだろうか。

しみじみ、自分がそういう境遇の下で生きる必要がないことに幸せを感じる。これを思えば、職場のパワハラなどどうでもない!と鼻息も荒くなる。

臍酒

想像を膨らませて読むのであれば… 横たわった裸体の女性のお臍にお酒を注いで… どこから飲むのでしょうか? こういうことって、割と日常茶飯事だったのかしら?と下世話だけどD級文化史への疑問が募る。

告白

ここでいきなりヘンリー・ミラーが登場するのにも驚いた!

(略)私は、大宮の見ている前で、自分だけ果す気にはならなかった。しかし、結局、私は一人で音丸を抱いた。私はそのとき、ヘンリー・ミラーの小説を思い出した。私は、大宮のことを忘れ、自分だけ夢中になった。勿論、音丸も、付き合った。(略)大宮は、私にかわって、音丸の白いからだの上に乗った。大宮の鼻が、ふいごのような音を立てはじめ、音丸は悲鳴を上げた。仕方がないのであった。

赤裸々と言ってしまえばそれだけだけど… 戦争という時代背景と、その時代に生きた人物が当時の感覚で自分の思いをわかりやすく表現しようとした、と思って読むと、単純な興味本位での3Pとして読むのは不適切だなと思う。

反戦小説のはずなのに、エッチな部分ばかり刺さってしまった。かつて軍隊での女性観ってこれがノーマルとすれば、従軍婦問題ってどう扱えば適切なのかな?と少し高尚なふりをしてみたり。すみません。

解説 古林尚

出版当時(1964年〜1966年)にすれば、まさに中年以上の日本国民なのであって、現在中年の自分にしてみれば、人生で一番活動的な時期が戦争に巻き込まれることは想像もできないし、改めて平和のありがたさに尊さすら感じる。

中年以上の日本国民は、その大多数が戦争に加わった過去を持っている。とくに男性は、好むと好まざるとにかかわらず徴兵され、おぞましい兵営生活や恐怖の戦場体験を強制されてきた。

以下、まさに「解説」であって、こういう背景を知って読むとこの作品の味わいも深くなるかなと。

旧久留米藩主の血筋をひく伯爵の父と北白川宮家第二王女の母(貞子)を持つこの作者には、権柄ずくの高貴な血統の重さにたいする生得的な嫌悪の姿勢と言おうか、格式高い己れの氏素姓を深く羞じる、ほとんど本能的までに定着した反逆の思考習慣があった。

活字中毒者として物足りなさはあったけど、ストーリーとして、その筋のプロの手にかかれば間違いなく楽しめる内容だなと。

軍隊小説は、その入りくんだメカニズムがあるていどまで描きこまれていないと、なかなか、その本質がつかみにくい。この種の作品では、ディテールの豊富な堆積を通じてのみ、テーマが発展してくるものである。(略)『貴三郎一代』は、おもしろいエンターテイメントの文学ではあるが、そこに、『貴三郎一代』の魅力も限界も集約されているように思われる。

勝新は打ってつけ、今の俳優なら誰だろう?

なお、この作品は『兵隊やくざ』のタイトルで昭和四十年、増村保造監督により映画化された。貴三郎は勝新太郎、「私」は田村高広の出演であった。

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