「サンクチュアリ」W・フォークナー


アメリカ南部、ノーベル賞作家のフォークナーを読み始めている。

街中の国旗風景を撮り集めていたりする

多いのはイタリアン・レストランのイタリア国旗、星条旗は少ない。

またどっぷりアメリカ作品にひたろうかなと。

ということで、まずはこちらを紹介。

サンクチュアリ
フォークナー加島祥造
新潮文庫

南部アメリカのノーベル賞作家ならパパ・ヘミングウェイ(1954年受賞)と言いたいところだけど、ここはフォークナー(1949年受賞)を推したい。

サンクチュアリ」とは?

Wikipediaや文庫解説によれば、

英語の”Sanctuary”には「聖所」「聖域」「逃げ込み場所」「罪人庇護権」などという意味がある

ふむ。

吉本ばななに同名の小説があるが、自分は読んでいないので関連性は不明。多分、ないと思う。

タイトルにちなむように、犯してはいけないことや権利など、アメリカらしい問題意識が基調としてある。1930年代に発表されている作品だから、今の時代とは照らし合わせられない部分もある。

そもそも、フォークナーに関心を抱いていたのは、文芸評論家・篠田一士二十世紀の十大小説」に挙げられてて、読んでみたいと思っていた。ここでの十大とは

あれとあれと..(略) 読んだことがある!

しかし、いざアブロサムを読んでみようかと思えば、どうも下記のラインナップも読んだ方がいいかなと

サンクチュアリ」「八月の光」は積んであったので、ようやくではあるが、すぐ手に取ることもできた。

被害者・加害者の構図で言えば、この女性(女1とする)は被害者の方。呼ばれもしないのに来た女性(女2とする)が事件の発端となる。

「(略)でもね、あたしは彼に嘘をついて、彼を刑務所から出すための金を作ったのさ、そしてあたしがその金をどうやって作ったか彼に話したら、彼はあたしをぶちのめしたのさ。そういう人間の暮す場所へ、あんたは呼ばれもしないのにやってきたんだ。(略)」

女2の言葉。この女性は被害者であり、加害者にもなる。

 「何かがあたしに起るのよ!」

この一言が、この小説の柱となる事件が起こることを予感させる。それにしても、むかしの人は多くを書かず、読者にいろいろ想像させる傾向がある。

戻って女1の発言。

「なんだかあたし、起こったことはしかたがないって気がするわけなのよ。いまさら、じたばたしたってどうにもならないわ」

そして諦念。

350ページほどの長編で構成がちと緩い感じもするが、いくつかの事件の筋は結局全て諦念に収束される。被害者が加害者へ、加害者は被害者へ。

話の筋とは関係ないけど、いかにもむかしのアメリカらしい描写が憎い。

どこかしら、この男は水洗いを抜きにしてドライ・クリーニングだけしたといった感じが滲み出ていた。

こういう細かいディテールを読むのがわりと好きだ。

それにしても、全体的に旧訳(1972年?)のせいか少し読みにくい。

男言葉&女言葉、上流階級の白人&下流階級の黒人の言葉遣いの訳が少しずさんな感じで、読んでいて誰の発言かわからなくなる(かも)。やっぱり、少ない描写でイメージを抱かせるためにも、細かい点を丁寧に訳して欲しいかも(と偉そうな)注文をつけてみる。

それと、ストーリーがもう少し際立つように訳してもらえると、日本でいうところの世話物の人間ドラマに仕上がるかな?

1930年代の南部アメリカの状況解説も必要か?

次に予定している「八月の光」はもうちと長い長編、訳者は同じ方。どんな小説かな?

この1冊でした

サンクチュアリ (新潮文庫)

 

サンクチュアリ (新潮文庫)

  • 作者:フォークナー
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1955/06/01
  • メディア: 文庫