漱石はミレー作品「オフィーリア」を「風流な土左衛門」って

草枕ってなんだと思っていた

「山路を登りながら、こう考えた。」で始まる「草枕」ってどういう作品かな?と思っていた。

本のタイトル草枕
著者名夏目漱石
出版社新潮文庫
この写真にちなんで、こちらの文庫を紹介したい。

ネットで意味を調べてみると、goo国語辞書によれば「草枕」とは、

《旅先で、草で仮に編んだ枕の意から》旅寝すること。旅先でのわびしい宿り。くさのまくら。

ということらしい、納得。やはり自分、漱石のタイトル付けはツボにはまる。初めて通して読んだ作品だけど、そうそう旅先での出来事だったんですね。

あまりにも有名な出だし

十三章で構成され、「吾輩は猫である」より読みやすい。そしてこれも、有名な冒頭。

山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。

自分にとっては、いろいろ考え巡らせられる冒頭である。住みにくいと言っても、生きるのであれば住まなければいけない!そういう矛盾を考える漱石がいい。

もう一つ特徴的に感じたのが、イギリス絵画の参照が多い。「土左衛門」と言っているけど、悪意は感じず好きなんだと思う。

ターナーが或る晩餐の席で、皿に盛るサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍の人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この海老と蕨の色を一寸ターナーに見せてやりたい。

そして… ミレーのオフェリヤ(現代的に言えば、オフィーリア)を踏まえ、「風流な土左衛門」と言い、詩をうたっている。

 雨が降ったら濡れるだろ。
 霜が下りたら冷たかろ。
 土のしたでは暗かろう。
 浮かば波の上、
 沈まば波の底、
 春の水なら苦はなかろ。

結末に向かっては、割と主張が鮮明に出てくるなと。

世の中はしつこい、毒々しい、ここした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋(うずま)っている。元来何しに世の中へ面を曝しているんだか、解しかねる奴さえいる。そかもそんな面に限って大きいものだ。

人間関係で苦労していた?と妄想が働く。

そして、文明社会への批判まで来て、さくっと終わる。

文明は個人に自由を与えて虎の如く猛からしめたる後、これを檻穽(かんせい)の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨めて、寝転んでいると同様な平和である。

自分が改めて分析するのも野暮だけど、那美さんという女性については、プロの専門家がいろいろと分析している。個人的には学術的よりも、もっと漱石の女性観を那美さんで表現して欲しかったかな。

だけど、その辺は後々の前後三部作でがっつり語っているから、これくらいでよいのかも。

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