病弱という不遇な自分を作品へ昇華「檸檬」ほか

柑橘類は色といい形といい、人々の気を引きますよね。この写真にちなんで、こちらを紹介したい。

本のタイトル檸檬
著者梶井基次郎
出版社新潮文庫

目にするものが何でも小説に

あまりにも「檸檬」は有名なので、一度は腰を据えて?読んでみたいと思っていた作家だった。名作「檸檬」を含む20におよぶ短編が収められているけど、おそらく目ぼしい作品は網羅されていると思う。

病弱で若くして亡くなっているせいか、短編で(やや)神経質を思わせる作品が多いと思う。健康体の自分からしてみると、その痛々しいほどまでの繊細な感覚が新鮮にも感じた。

しかし!重量級の読み応え感が好きだから、再読の機会は少ないタイプかもしれない。

檸檬と限らず、蝿1匹でも作品になるのだから、その空想力は逞しいのかもしれない。

気に入った箇所を少しだけ紹介。

檸檬

自分も柑橘系を見るのは好きで、生っている木があるとすぐ写真を撮ってしまう。だから、特にその色彩へ惹かれる気持ちは理解できる。

こういう部分は作家より詩人なのかなと。

見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。

Kの昇天

シューベルトは好きな作曲家だから、こういう箇所は引っかかる。

この作曲家も若くして亡くなっているし、かなりニヒリスト(この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場)っぽい側面を持ち合わせているかと。

こうK君は申しました。そして、
「先刻あなたはシューベルトの『ドッペルゲンゲル』を口笛で吹いてはいなかったですか」
(略)
「影と『ドッペルゲンゲル』。私はこの二つに、月夜になれば憑かれるんですよ。この世のものでないというような、そんなものを見たときの感じ。ーーその感じになじんでいると、現実の世界が全く身に合わなく思われて来るのです。だから昼間は阿片喫煙者のように倦怠です」

タイトルのとおり、K君が世を去ってゆく話ではあるが…

K君は病と共に精神が鋭く尖り、その夜は影が本当に「見えるもの」になったのだと思われます。

全体的にどうしても根底に、病弱な自分(著者)が存在してる。だけど、そんな不遇な自分を作品へ昇華させたところに、この作家の独自性があるのかしら。

この1冊でした

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