「ビッグ・ノーウェア(下)」J・エルロイ


ジャズってどう聴けばよいのだろう?

うちの近所にvelvetsun(ベルベット・サン)という、かなり自分好みなライブハウスがあるものの、なかなか使いこなせずにいる。自分はものぐさ&引きこもりな一面もあるが、せっかくなので楽しみたいなあと思っている……。

この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
ビッグ・ノーウェア(下)J・エルロイ(文春文庫)

エルロイの暗黒小説はジャズにも語らせる

エルロイのLA4部作の第2作目後半。いよいよ、衝撃?の結末です。

下巻の前半は、結末に向かうストーリの展開部で、疾走感はあったのものの、心に留まる文章は少なかったりします。

ひとまず、小説でも事件が終息を迎えると

新聞の行間を読んでいけば、結末にどういう含みがあるのか理解できる。(略)アカやホモ殺人とのからみは完全に欠落しているーーエリス・ロウは報道関係にコネをしこたま持っているうえ、こみいった話を嫌うのだ。

ここで言う「アカ」は1950年前半にアメリカで行われた共産党員を公職などから追放する運動であり、当初この小説はそこに絡むポリポリ(政治的)な陰謀がホモ殺人を通して焦点を結んでゆくかと思っていましたが、実は違った!のです。それでも、表面的にはまず上記引用のようにまとめてます。

なお、エリス・ロウは前作「ブラック・ダリア」から登場する政治的野望を抱く曲者で、この小説では結局表面的な狂言回しで終わっています。この小説に限らず(野心を抱く上司に仕えると実感するが)上昇したい人にとっては、事実はどうでも良く、その出来事が自分にとって役立つ or 役立たないに限るので、こみいった話を嫌うのは典型的だなと納得してます。

そして、エルロイはその裏で、引き続きドロドロなストーリーで読者に読ませてくれます。

「わたしが内通者となるについては、自分をどう納得させたか知っているかね?」

「盗人にも三分の理」ではありませんが、「チクリ屋にも三分の理」として、そのドロを密告者が吐いてゆくのです。

赤狩りやメキシコ人による犯罪が絡みつつ、同性愛&近親相姦と正直自分にとっては全く共感得難いシチュエーションで、エグい結末を迎えるのでした!

それでも…

コールマンはにわかに閃いた曲想をものにしようと躍起になっていた。長いソロ曲で、嘘と不実を意味する不気味な静寂が随所にはいる。リフの部分では彼のアルトが奏でる高い音をたっぷり聞かせる。アルトの音は最初は大きく、次第に小さくなり、その間に長い沈黙が何回も挿入される。最後は音が次第次第に小さくなっていき、まったき静寂で終わるーーそのときの静寂は、彼のサックスから吐き出されるどんな音よりも大きな音に感じるはずだ、とコールマンは考えていた。大いなる無(ザ・ビッグ・ノーウェア)、彼はその曲をそう名づけるつもりだった。

ネタバレを避けるためにも、詳細は記さないけど、コールマンは事件終息に向かって重要なキーパーソンであることが語られます。正直ワル(悪)です。しかし、何故ワルになったのかが、ドロドロなストーリーであったりします。そんなストーリーにおいて、辛うじて救いを感じられるのがジャズ(ここではアルトサックス吹き)だった!と自分は思ったのでした。

小説でも音楽でも、人それぞれ楽しみ方があり、自分は何気に「タイトル」とか、暗に散りばめられる(かもしれない)隠しネタが気になったりします。

ブラック・ダリア」は割とストレートなタイトルで、実際の事件名そのものにインパクトあり、それを下敷きにしているので、妥当かもしれないけど芸は乏しいかなと思ってました。

しかし、今回の「ビック・ノーウェア」は(意訳が決まらないから、原題のままだなと思いつつ)最後の最後までタイトルの理由は判明しませんが、ドロドロの結末を知った後では、何となく余韻を感じました。

音楽もいいな。それが小説のストーリーに奥行きを与えてくれるのは素敵だなと。

なお、第4作目は「ホワイト・ジャズ」と言うから、エルロイは自身の描くノワールな世界にジャズを被せ厚みを持たせて、そんな世界観に自分は魅力を感じます。第3作目は映画化された「LAコンフィデンシャル」です。

まだまだ楽しみは続きます! そして、今年もよろしくお願いです。

この1冊でした

ビッグ・ノーウェア 下 (文春文庫)

 

ビッグ・ノーウェア 下 (文春文庫)