「侏儒の言葉・西方の人」芥川龍之介


正直に言って、自分は神様を信じるけれど宗教心は身についていない。無責任な発言になるけど、典型的な日本人かなと。

本のタイトル侏儒の言葉・西方の人
著者名芥川龍之介
出版社新潮文庫
この写真にちなんで、こちらの文庫を紹介したい。

キリスト教と聞いて思い出したのは、2002年に訪れたバルセロナの「サクラダファミリア」がとっても宗教臭がするなと驚いたこと。日本語だと「聖家族教会」なのだから、キリストが象られているのは当然で自分が無知だったでした。

以前に訪れてから、もう18年も経つのだから、かなり多くの部分が築かれたのではないだろうか。

中国故事と西洋宗教を通じた龍之介氏のエッセンス

ラインアップはこちら。

  • 侏儒の言葉
  • 侏儒の言葉(遺構)
  • 西方の人
  • 続西方の人

侏儒の言葉

解説によれば、「侏儒(しゅじゅ)」とは

①こびと。②見識のない人の蔑称。③昔中国でこびとを俳優にしたことから、俳優、役者をさす。ここでは自嘲的に主に②の意味で用い、筆者の様々な思想の変化を示すという内容から、③の意味合いも含ませている。

芥川龍之介氏、教養が深い。

「侏儒の言葉」は必しもわたしの思想をつたえるものではない。唯わたしの思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一すじの蔓草、――しかもその蔓草は幾すじも蔓を伸ばしているかもしれない。

こちらの序文で始まるこの作品は、小説というより随筆に近いのだろうか?

「人間らしさ」

スウィフトは発狂する少し前に、梢だけ枯れた木を見ながら、「おれはあの木とよく似ている。頭から先に参るのだ」と呟いたことがあるそうである。この逸話は思い出す度にいつも戦慄を伝えずには置かない。わたしはスウィフトほど頭の好い一代の鬼才に生まれなかったことをひそかに幸福に思っている。

「芸術家の幸福」

最も幸福な芸術家は晩年に名声を得る芸術家である。国木田独歩もそれを思えば、必しも不幸な芸術家ではない。

西方の人

「西方の人」は37、「続西方の人」は22からの小文で成っている。西の方にいる人がキリストのようです。

21 故郷

(略)勿論又あらゆるクリストは故郷に入れなかったのに違いない。現にポオを入れたものはアメリカではないフランスだった。

キリストとエドガー・アラン・ポーを同列にしてしまうのも無理がありますが、こういう部分が面白く読めた。

こちらもどうぞ!

新潮文庫の順番を頼って、芥川龍之介氏の小説を読み進めてきた。今後通して読むことはないけど、拾い読みは続けると思う。

  • 羅生門・鼻
  • 地獄変・偸盗
  • 蜘蛛の糸・杜子春
  • 戯作三昧・一塊の土
  • 河童・或阿呆の一生

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