江戸の水源として井の頭・善福寺池を言及
小説のなかでは、単なる余談にしか過ぎないのだけど、散歩にはうってつけの水源だよ!
この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
「真田太平記」第四巻・甲賀問答
池波正太郎(新潮文庫)
忍びの生きざまは壮絶のようで
池波大河小説も第四巻まできて、これまでと少し違った。
何が違うかと言えば、真田家親子が中心だったのが、この巻では真田家に仕える忍びの人々たちが中心だったこと。正直、読み始めは違和感があったが、終わってみれば、次の巻からまたストーリーが大きく展開する前哨戦の感じがあった。
それと同時に、秀吉の政にも陰りが出てくるニュアンスを漂わせる。
秀吉が、何か目に見えぬ魔性のちからによって、われ知らず、底も知れぬ深淵へ身を投げ込もうとしているかのように、長俊の目には映ったのである。
秀吉の晩年はともかく、秀次や秀頼の人生は気の毒かもしれない。
「われら、忍びの者にかぎらず、人という人は、自分のためのみに生くるのではないぞ。おのれの無事を願い、おのれのためにつくしてくれる他の人びとのために生きねばならぬ。生きぬかねばならぬ。これが人というものじゃ」
忍びの人々が中心になるのも、彼らは結局のところ秀吉 VS 家康の動向を探るため、しのぎを削る。そのようなこの第四巻を読んでいて、思い出した小説があり、つい再読。
生粋の大阪人はやっぱり豊臣家を嫌いになれないのかも。そんな、徳川派と豊臣派の分裂は真田家親子にも影響を及ぼすのが、この大河小説の大きなテーマでもあるのだけどね。
そんな、忍びと豊臣家の話に、ふとご近所の井の頭や善福寺池が出てきたので、今回の1枚は春の善福寺池を選んでみた。
麹町台地と神田・本郷の台地の間をながれる平川が河川としては最も大きく、この川は井の頭・善福寺池などを水源として、江戸湾へそそぎ入っていた。
最後は、真田家父の弟、長男からみれば叔父が出征先の肥前で「忍びを使うな」という意味深長なことを申す。
「わが叔父御、そのように申すからには、それだけの理由あってのことであろう。(略)年寄りの申すことには含みがありすぎて、面倒なことよ」
それを聞き逃さず、実践する慎重さが真田家長男で、次巻以降も楽しみ!
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この1冊でした
- 作者:池波 正太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1987/10/28
- メディア: 文庫