アメリカ南部、ノーベル賞作家のフォークナーを読み始めている。
街中の国旗風景を撮り集めていたりする
多いのはイタリアン・レストランのイタリア国旗、星条旗は少ない。
またどっぷりアメリカ作品にひたろうかなと。
ということで、まずはこちらを紹介。
南部アメリカのノーベル賞作家ならパパ・ヘミングウェイ(1954年受賞)と言いたいところだけど、ここはフォークナー(1949年受賞)を推したい。
「サンクチュアリ」とは?
Wikipediaや文庫解説によれば、
英語の"Sanctuary"には「聖所」「聖域」「逃げ込み場所」「罪人庇護権」などという意味がある
ふむ。
吉本ばななに同名の小説があるが、自分は読んでいないので関連性は不明。多分、ないと思う。
タイトルにちなむように、犯してはいけないことや権利など、アメリカらしい問題意識が基調としてある。1930年代に発表されている作品だから、今の時代とは照らし合わせられない部分もある。
そもそも、フォークナーに関心を抱いていたのは、文芸評論家・篠田一士「二十世紀の十大小説」に挙げられてて、読んでみたいと思っていた。ここでの十大とは
- 「失われた時を求めて」(プルースト)フランス・1913年〜1927年
- 「伝奇集」(ボルヘス)アルゼンチン・1944年
- 「城」(カフカ)チェコ・1926年
- 「子夜」(茅盾)中国・1932年
- 「U・S・A」(ドス・パソス)アメリカ・1938年
- 「アブサロム、アブサロム!」(フォークナー)アメリカ・1936年
- 「百年の孤独」(ガルシア=マルケス)コロンビア・1967年
- 「ユリシーズ」(ジョイス)アイルランド・1922年
- 「特性のない男」(ムジール)オーストリア・1930年〜1932年
- 「夜明け前」(島崎藤村)日本・1929年〜1935年
あれとあれと..(略) 読んだことがある!
しかし、いざアブロサムを読んでみようかと思えば、どうも下記のラインナップも読んだ方がいいかなと
- 『サンクチュアリ』"Sanctuary"(1931年)
- 『八月の光』"Light in August"(1932年)
- 『アブサロム、アブサロム!』"Absalom, Absalom!"(1936年)
「サンクチュアリ」「八月の光」は積んであったので、ようやくではあるが、すぐ手に取ることもできた。
被害者・加害者の構図で言えば、この女性(女1とする)は被害者の方。呼ばれもしないのに来た女性(女2とする)が事件の発端となる。
「(略)でもね、あたしは彼に嘘をついて、彼を刑務所から出すための金を作ったのさ、そしてあたしがその金をどうやって作ったか彼に話したら、彼はあたしをぶちのめしたのさ。そういう人間の暮す場所へ、あんたは呼ばれもしないのにやってきたんだ。(略)」
女2の言葉。この女性は被害者であり、加害者にもなる。
「何かがあたしに起るのよ!」
この一言が、この小説の柱となる事件が起こることを予感させる。それにしても、むかしの人は多くを書かず、読者にいろいろ想像させる傾向がある。
戻って女1の発言。
「なんだかあたし、起こったことはしかたがないって気がするわけなのよ。いまさら、じたばたしたってどうにもならないわ」
そして諦念。
350ページほどの長編で構成がちと緩い感じもするが、いくつかの事件の筋は結局全て諦念に収束される。被害者が加害者へ、加害者は被害者へ。
話の筋とは関係ないけど、いかにもむかしのアメリカらしい描写が憎い。
どこかしら、この男は水洗いを抜きにしてドライ・クリーニングだけしたといった感じが滲み出ていた。
こういう細かいディテールを読むのがわりと好きだ。
それにしても、全体的に旧訳(1972年?)のせいか少し読みにくい。
男言葉&女言葉、上流階級の白人&下流階級の黒人の言葉遣いの訳が少しずさんな感じで、読んでいて誰の発言かわからなくなる(かも)。やっぱり、少ない描写でイメージを抱かせるためにも、細かい点を丁寧に訳して欲しいかも(と偉そうな)注文をつけてみる。
それと、ストーリーがもう少し際立つように訳してもらえると、日本でいうところの世話物の人間ドラマに仕上がるかな?
1930年代の南部アメリカの状況解説も必要か?
次に予定している「八月の光」はもうちと長い長編、訳者は同じ方。どんな小説かな?
この1冊でした
- 作者:フォークナー
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1955/06/01
- メディア: 文庫