仁王門までの参道は直線距離にして800m
近くに大学があったにも関わらず、これまで足を踏み入れた記憶がなかった「護国寺」は、生類憐みの令で有名な徳川5代将軍の御母堂によって建立されたお寺らしい。かつて、尾崎豊氏の葬儀も営まれた場所。不要不急には違いないのだけど、それだけから、今!なら行けるかなって…。こっそり撮り下ろし。
読んでみたかった女流作家最初の1冊
2017年に91歳でなくなった時代小説作家で、NHK大河ドラマ「春の波濤」の作者、自分のなかでは妙に引っかかっている方である。代表作を読んでみたいのだが、何がよいのか。そんなおり、この文庫本にであったのだが、江戸名所図会とは wikipedia によれば
江戸名所図会(えどめいしょずえ)は江戸時代後期の天保年間、斎藤月岑が7巻20冊で刊行した江戸の地誌である。鳥瞰図を用いた長谷川雪旦の挿図も有名。
親子三代で取り組んだガイドブックのような冊子らしく、それに基づいた杉山女史のエッセイ集であった。
そもそもは、昭和48年1月号の月刊紙「ミセス」の2年におよぶ連載を昭和60年に再編したらしいが、それでも35年前だから… まあ、古くなりつつあるかも。それでも、自分はこれを読みつつ、この場へ足を運び江戸当初を妄想したりすること、嫌いではない。ラインナップは以下のとおり。
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅳ
- 品川、大森、蒲田
- 目黒
- 麻布
- 芝の明神
- 新橋烏森
- 霞ガ関
- 佃島
- 銀座通り
主にⅢに含まれる自分の近所やホームグランド以外にも、まだ自分が知らない未開の東京も多いかなと。ここでは、画像にちなんで「音羽護国寺」を軽く紹介。
お玉は十六のとき、つてを求めてこの、お万の方のもとへ腰元奉公にあがり、秋野という名で勤めているうちに、やがて家光将軍のお手が付き、その胤をみごもって若君を生んだ。(略)兄たちのあいつぐ死によって五代将軍を継いだ幸運から、お玉ーー桂昌院も、一躍トップレディの座にのしあがったのである。
この桂昌院によって建立された護国寺は、寺名も国を護る...。どこで読んだか忘れたけど、この音羽通りもむかしの参道のままだったとか。江戸城へ、ほぼ一直線に近しいだけに、一度参道から眺めてみたいと思っていた。
杉山女史が触れるように、むかしの面影はないけれど、古刹の雰囲気漂って「京都っぽい!」と自分はまあまあ楽しく思っている。
たびたびのお成りと、寺領の加増で栄えに栄え、現在、講談社、光文社の並ぶあたり、音羽九丁の門前町に、脂粉の香さえ漂わしたころの面影は、しかし『名所図会』でしか、しのぶよすががなくなってしまった。
この1冊でした
自分が読んだのは旺文社文庫だけど、現在であれば文春文庫なら入手可能かな?