この1冊を読んだきっかけは、出会ってしまったという事実もあるけど、変わり者(失礼)ばあさまとして有名だった森茉莉女史(鴎外長女)が、比較的親しくしていた友人らしく、茉莉女史が自著で触れていたのも大きい。
森茉莉女史が1903年(明治36年)生まれに対して、葉子女史は1920年生まれだから、17歳も離れていたんだと今さら知る。茉莉女史は自分と同じく文豪として知られた父を持つ一方、互いに文筆業を営んでいる点に共感を持っている口ぶり(書きぶり)だったので、同世代なのかなと、自分は推察していた。心理的には実妹より親近感を抱いていたような書き振りだった。
文庫概要
せっかくなので、葉子女史への言及があった茉莉女史の作品などマイコレクションからの表紙紹介をば。
内容紹介
著者が詩人・萩原朔太郎の長女という以外の予備知識はなく、読み始めた。前半は憧れのスペイン旅行に関わる旅エッセイだった。
- 外国便初搭乗記
- 私のスペイン行き
- セビリアの驢馬(9編)
- 私の旅(5編)
- 思い出の地(5編)
- 鏡(22編)
- 現代夫婦模様(12編)
- 小説と遺伝に思う ――『蕁麻の家』のあとさき(5編)
私のスペイン行き
私の性格は、どんなことをされても、自分から仕返しや刃向うことができない。いつも向うから切りつけられるばかりなのだった。
仲良し3人女の旅だったらしいけど、途中で仲間割れする愚痴のようなものが散見した。
確かに現在ほど気軽に海外へ旅できない時代での旅とすれば、人それぞれ思いが交錯するのはしかたないよ… と妙な同情しながらも、当時のスペイン旅行記として楽しく読めた。
後半「鏡」では、身近な話題によるエッセイ集な感じで「季節感」ではマンションから木造の一軒家に戻る話がある。ここが気になるのも、まるで自分の数年後?を見ているようなせいかもしれない。
原因は永年のマンション暮しから、自宅に戻り木造との温度差に馴染めないからである。(略)それは庭があるからで植物を眺められるからだ。庭といっても猫の額ほどの空地で、痩せた土地に肥料を施し、瓢箪や夕顔の苗を植え、ついでにナスやオクラまで植えてみた。
意外(単に自分が知らないだけ)だったのは、『蕁麻の家』三部作と呼ばれている自伝的要素の強い作品の著書で、父・朔太郎を中心に繰り広げられた生活ぶりの大変さだった。
蕁麻.. って蕁麻疹(じんましん)と字面が似ていると調べてみると、「いらくさ」だった。どんな草?かなと調べてみると
山野に自生。茎や葉に蟻酸(ギサン)を含む細かいとげがあり、触ると痛い。
とあった。そう思うと「あとがき」にも
どちらかといえば、暗黒の面を苦吟しながら書く小説に比べ、明るい自由さで書くエッセイのひとときは、自分でもたのしいことだった。
とあった。自分、詩への興味はさほど深くなく、読みたい本もたくさん積んでいるので自分から探すことはないけど、今後出会う機会があれば、『蕁麻の家』三部作は読んでみたいなと。
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あいにく「セビリアの驢馬」の復刊はなさそうだけど、調べていたら息子・朔美氏による気になるエッセイがあった。タイトルもそそられるから、機会(出会い)があれば葉子女史の作品、やはりもっと読んでみたいなと。