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古代中国史で読む「李陵・山月記」名人偉人の生き様は?

新!東京音楽学校奏楽堂の前で

日本芸術界を代表する芸大の音楽ホールで名人芸を堪能してきたよ!

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新!東京音楽学校奏楽堂
Nikon D7200 with 35mm f1.8

名人偉人の生き様を読む。

この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
李陵・山月記
中島敦
新潮文庫

願わくば、自分も小さくてもよいから一芸に秀でた人生を送りたい...。

声に出して読みたくなる格調高さ

wikipediaでは、中島敦のこの作品を

漢文調の格調高い端正な文体とユーモラスに語る独特の文体を巧みに使い分けている。

と説明していたが、まさにその通りで、つい速読しがちな自分だけどゆっくり読むことで楽しめた。

各短編ごとに、渋いオチがついているし、自分なりにその短編を総括している!と思う一文を抜粋してみた。

多分、高校の教科書に掲載されていたかな? 秀才が虎になってしまうお話。

作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

虎になって、功名心は消えつつも「後代に残したい」という思いは消えない。「産を破り心を狂わせてまで」が自分に刺さった。

彼がその時独りつくづくと考えるには、今や弓を以て己に敵すべき者は、師の飛衛をおいて外に無い。

地味なストーリーだけど、突き抜け感に「そう来たか!」という独創性を感じたよ。

師を超えるとは?

  • 弟子

現代にも通じそうな人物描写が秀逸だったかな。

そして、その弟子(子路)の人生の結末は、まさに師(孔子)が予言したとおりになるとこに、現実を見た。

その時、四十而不惑といった・その四十歳に孔子はまだ達していなかった。子路はその年齢の差を殆ど無限の距離に感じていた。

四十而不惑(よんじゅうにしてまどわず)と送り仮名がふられているが、「四十歳になって、迷いが無くなること」とある。

現代では四十歳は、まだまだ不惑だけど、自分はアラフィフの射程圏内に入ってくると、迷いは減ったかも。迷いがなくなるのも、気楽でいいな(みたいな)。

  • 李陵

最初は李陵の話で、途中から教科書でも知っている司馬遷が登場する。

常々、彼は、人間にはそれぞれその人間にふさわしい事件しか起こらないのだという一種の確信のようなものを有っていた。

それでいて、司馬遷に不幸が訪れる。

「李陵」は他と比べると長く、テーマがどこにあるのか当初は読み取れずにいた。タイトルは、著者の死後に「深い交友のあった深田久弥が、遺稿に最も無難な題名を選び命名したもの」として決めたようだ。メインな登場人物3人のうち、共通する人物は李陵だから、よいのかな。

二人の決定的な交わりはなく、別々のテーマとして淡々と進む。やがて、第3の登場人物「蘇武」が登場する。

この男は何を目あてに生きているのかと李陵は怪しんだ。

この男とは、蘓武のこと。そして、李陵は蘓武に

己の優越を知った上で相手に寛大であろうとする者の態度を感じ始めた。

で、結末はどうなるか。三者三様の人生を終えるのだが、なるほど... という説得力があった。

この小説に限らないけど、全編を通して、中島敦の著者からは生きざまを感じさせる味わいがあり、妙に味わい深く美味しかった!

初心者だったので、メジャーな中国の古典を題材にしていた4編を選んだけど、やはりパラオもの読んでみたい。

この1冊でした

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)