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狂い咲く巨大泰山木と枇杷の木は脳病院跡地?「夜と霧の隅で」を読んだ

巨大化した泰山木と鈴なりな枇杷の木

全く根拠のない話である。

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巨大化したタイサンボクとたわわな枇杷の木
Nikon D7200 with SIGMA 18-300mm

現在はマンションの敷地内にあるが、そもそもどういう場所だったのだろうと、ネットを検索していると「脳病院が存在した場所」という結果に行きついた... 記憶がある。

今になって改めて検索してみても、見つからない。

この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
夜と霧の隅で
北杜夫新潮文庫

自分の妄想に過ぎないのかもしれないが、自分には、何だかそんな少し現実離れした空間に似合いそうな巨木と鈴なりな木である(不愉快に感じる方がいたら申し訳ない...)。

精神が弱っているときに目にすると、躁鬱の躁の彼方へ飛んでいきそうなパワーを感じる。

「夜と霧の隅で」から「楡家の人々」まで

自分にとって北杜夫という小説家を知るには、ちょとしたきっかけがあった。

まあ、それはいずれどこかで触れるとしても、高校生の頃には名前を知っていただけに早くから関心をもっていた。

20代で「楡家の人々」を楽しく読み、その後は氏の作品を読むこともなかったが、100均一棚で割と美品な1冊「夜と霧の隅で」を発掘したので読んでみた。

「夜と霧の隅で」は直木賞受賞となった作品で、まさに精神科医として作家として読み応えのある作品だった。「夜と霧の隅で」の質&量を中編とすると、他に4短編が入っていた。

  • 岩尾根にて
  • 羽蟻のいる丘
  • 霊媒のいる町
  • 谿間にて(たにまにて)
  • 夜と霧の隅で

無責任に自分の好みを述べれば、次が典型的な自分の好みで、他は少し(自分にとって)味わいが薄くて好みではなかった。

  • 岩尾根にて
  • 谿間にて(たにまにて)
  • 夜と霧の隅で

1編では登山における怖いお話、2編目も登山に蝶の採集が絡むお話。

特に「谿間にて」は

(略)フトオアゲハがこの山をめぐって飛んでいるらしいことが推測できた。
「あいつはきっと戻ってくると俺は信じたな。(略)山道を歩くのは嫌だから、俺は運を天に任せて草原に寝ころんで待つことにした。半分気違いじみているがね。だけどな、特別の幸運があったとしても一生に一度お目にかかれるかどうかわからない珍種を見つければ、誰だって気違いじみてもくるさ。学生さん、あんただってこういう気持、わかるだろう?」

珍種(フトオアゲハ)採集における冷静と狂気に山という自然の脅威も加味され... 実際この男は念願、というより執念が叶ってフトオアゲハを採集するのであるが、その後の人生はどうなったか...

という、精神世界を織り成す現実をしっかり固めてからの人生ミステリーな小説で、読みながらスリル満載ですごい!と思った。

一方、「夜と霧の隅で」はナチスドイツの異様な戦況下における精神病院のお話で、現在でも十分な狂気を感じて読める。怖いのは、これが空想ではなく限りなく実在に近いと思えばなお怖い。

(略)例えば躁鬱病をこの世からなくしてしまえば、同時にこの世から一切の色彩を、豊かなもの、激しいもの、沈鬱なるもの、もの悲しいものを失わせることになると言いたいんだろう。(略)有益な色彩と有毒な色彩のどっちをとります? もちろん毒蝶はけばけばしい鱗粉で蝶類蒐集家をひきつける。

こういう描写が、精神世界を素人(自分のこと)にも理解しやすく語ってくれるなと。

躁鬱をネガティブに捉えてしまうと救いがないが、色彩豊か?な側面もあることを理解したい。

そして高島は留学当時はこうした石造りのがっしりした建物、あらゆる点に行き届いた清潔さと整然さに羨望を感じたものだが、今は木造りのへなへなした家やそこに住む小柄な人種に言いようのない懐かしさを覚えるのだった。

先進国としてのドイツと後進国としての日本の対比が描かれてれる。

痴呆患者にはふぬけたゆるんだ表情が多いが、ときには逆に世俗の汚れを知らず、常人には見られない明るさと清らかさに溢れた表情の者がいる。彼女はその一人だった。日常の仕事は何ひとつできないくせに、その単純な笑いはさながら内部から放射してくる天上的な光のようであった。

精神病院で、精神が崩壊された人々により精神世界を描きつつ最後には

ケルセンブロックの異常とも思える努力は、絶望的な戦線に明瞭な犠牲を投入するようなものだ、と彼は思った。兵士として過した彼の経験からそういえた。

と、不条理な現実を以って結末を迎えるのだが...。

この小説では時代に救いがないから、健常者でも狂わずにはいられない。そんなギリギリの境界線にいる人々と境界線を越えた人との交流を描いた作品であった。

ミイラ採りがミイラになるではないが、北氏もその後は躁鬱病で苦しむのが皮肉だなと。

しかし、それを突き抜けてからなのだろうか、2006年の日本経済新聞私の履歴書』の連載は、毎朝楽しく読んだ。

「楡家の人々」も再読しようかな。だけどあれは、長編なのよね。時間が許せば読みたい。

この1冊でした

夜と霧の隅で (新潮文庫)

夜と霧の隅で (新潮文庫)