本1冊写真1枚

one book with a photo

井伏鱒二が綴った「平家の落人」敗者の美学の軍記もの

お題「好きな作家」

長生きした井伏鱒二

フィルムで撮影してみたらどことなく漂うぼんやり感

祇園精舎の鐘の声」で始まる平家物語の世界は好きだ。

温泉好きの両親に釣られて栃木の温泉地に足を運んでみたが、湯西川温泉ってもう一度行ってみたい。

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栃木県湯西川温泉(への途中、川治温泉かも)
Nikon F310(FUJIFILM 記録用カラーフィルム ISO100)

この写真にちなんで、こちらを紹介したい。
さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記
井伏鱒二新潮文庫

1180年ごろ、源平合戦に敗れた兵士が京から栃木まで流れ着いて生活するとは、何か生き延びることへの執念を感じる。こちらは試し撮りのようにフィルムで撮ったものだけど、もうちと寂しい?感じの風情がいいなあ。

井伏作品の魅力を探っている

杉並に住んでいると著名人として石井桃子さん(1907年生まれ101歳没)同様、長生きした井伏鱒二氏(1898年生まれ95歳没)もよく耳にする。

先日意外な人物(フランス文学者の野崎歓)による「水の匂いがするようだ 井伏鱒二のほうへ」と、井伏作品の魅力を語った本を読み、かなり井伏作品の裏側?がわかってきた(かも)。

水の匂いがするようだ 井伏鱒二のほうへ

水の匂いがするようだ 井伏鱒二のほうへ

他者の言葉を発掘しそこに新たな生命を吹き込むことに長けた井伏ならではの作品なのである。

「他人の言葉」を「自分の言葉」にすり替えてしまえば盗作だけど、ここでは違う。「新たな生命を吹き込む」ところにオリジナル性がある。

という観点を踏まえて読むのに楽しめる3作品がおさめられたこちらを読んだ。

  • さざなみ軍記
  • ジョン万次郎漂流記
  • 二つの話

順に昭和13年昭和12年、昭和21年に発表された作品らしい。現代の感覚で読むと物足りなさを感じるかもしれないが、戦前という時代を踏まえてみれば、結構作者は知恵を絞り、想像力を働かせて物語を仕立てていると思う。

そこに、上記で触れた野崎歓氏のコメント「新たな生命を吹き込む」が理解できる。

「さざなみ軍記」は平家の都落ちという歴史に小説舞台を借りた井伏氏想像上のオリジナル作品。

私達が若し個人的に没落からまぬがれようとして、落飾したり変形したりして山門の大衆に加わったにしても、それは徒労である。山門の大衆は私達と同じ階級の一つの変態にすぎなかったが、彼等は新来の勢力に合流した。私達の変態階級のみが残り、私達自体は亡びようとしている。三条に住いしている陰陽師は、これこそ順序というものであると申された。

平家、滅びの美学(自分が勝手に決めている)だなと。

作品で平家の美形らしいお侍さまは写真の東日本(湯西川)ではなく西の方向へ都落ちをしてゆく。逃げ続ける途中で小説自体は終わってしまうものの、悲壮感は乏しく淡々と諸行無常を受け入れているのが、平家らしい?かもかなと。

それでいて、脱走して地元住民に混じって生き永らえたいような願望も口にする。あてもなく逃げてゆく小説風景が自分の嗜好にあった。

「ジョン万次郎漂流記」については、解説からの引用になるが

「さざなみ軍記」が全部空想で書かれたのに反して、「漂流記」はもっぱら記録に依存して書かれたということになる。

確かに「ジョン万次郎」はなるほど〜と出来事(歴史的記述)の説明が詳しい。

しかし、人間模様の資料が現存することはないので、作者の創作に違いない部分もあり、それが違和感なく歴史的記述と織り成されているとこが井伏氏ならではの手腕なのだな!と。

そして最後「二つの話」は、童話風を試みている。

私はこの二人の子供を素材にして、童話風な物語を書きたいものだと思った。

率直な読了感を言ってしまえば、構成的に不十分なとこもあるのだが

「ちかごろ、妙なことが多い。早稲田村の先の井荻村の方で、大勢の子供に鳥を追わしておる御大尽の家があるそうな。(略)」

井荻村がうちの近所であるところに、土地の親近感だけ残った。井伏氏の童話と言えば「ドリトル先生シリーズ」の翻訳があるので、それらもいずれ読んでみたいのである。

この1冊でした

さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記 (新潮文庫)

さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記 (新潮文庫)

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