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one book with a photo

金沢ゆかりの建築家が昭和初期ドイツ&北欧を語るエッセイ「雪あかり日記」

お題「思い出の一枚」

2001年夏に訪れたスウェーデン

日本人が勝手に抱く北欧のイメージはまんざらではないなと

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スェーデンの首都ストックホルム

FUJI FILM FinePix4500

2000年に購入した2台目のデジカメ。(当時)とってもよく写る!と喜んで、いろいろなところを旅していっぱい写真撮って... やがて壊れて「日本製って壊れるんだ!」と驚いたカメラであった。

次はFUJI FILMのカメラ欲しい。

今回は、こちらの文庫を紹介したい。
雪あかり日記/せせらぎ日記
谷口吉郎(中公文庫)

イケメン建築家のヨーロッパ紀行は非常に分析されている

GINZA SIXの建築家でもある谷口吉生氏のお父様で、親子揃ってのイケメン建築家...と。

この日記、以前にも読んだことあるのだが、そのときはあまりハマれず読了することなく積ん読されていた。それが今回、また金沢を訪れる機会を得たので改めて読んでみると、なぜこんな自分好み(ドイツベルリンを拠点に綴られた昭和初期のヨーロッパのお話)の内容なのに前回ハマれなかったのかが不思議で、今回は一気に読み通した。

とくに今回発見だったのは、以前は興味が抱けなかった石にまつわる話。ちょうど自身がベルリンにおける日本大使館建設の任務で着任したこともあり、日本庭園で使う庭石のことで頭が一杯... それに付随して石への思いを綴った文章に納得させられた。

中国人は古来から珍石や奇岩など珍しいものを好み、そうして選ばれた石を「選石」として尊び、その思想が焼き物にも反映されると論じている。

宣徳の染付、康熙や乾隆の鮮やかな「粉彩」も、選石を愛する造形力が、華やかに発色したものだと言えよう。

一方、日本人については

だが、しかし日本人の抱く石の愛情は、(略)奇岩の形よりも、自然な石の肌を愛する。せせらぎに洗われ、白波で磨かれ、さらにその肌に苔のむした幽寂な姿を好む。

と比べる。著者は「せせらぎ」という言葉が好きなのかも!と思ってみたり。

中国の磁器が、玉を模造しようとしたものなら、長次郎やのんこうの茶碗は、「石ころ」の美を、日本の風土に育った美意識によって焼き作ろうとしたものであろう。

そうか、日本人の陶器好きを認識させられた気がした。一方、西欧人は

石を切り、それを積みあげ、表面を人工的に仕上げた大建造物である。だから、西洋人の石に対する美意識はいつも人工的なものである。従って、それが焼き物に移ると、やはり彫刻的なものとならざるを得ない。有名なマイセンやセーブルの窯が誇りとしているものは、彫刻的な置き物である。

という記述に、何故あのような焼き物の置物を作るのかが納得できた気がしている。たかが石だけど、やっぱり玄人の物の見方は違うな!と。

後半の「せせらぎ日記」はまた前半の「雪あかり日記」とは異なる趣があった。

1939年だろうか、コルビジェに会った言及がある。

相手は私にフランスでは仕事のないことをかこち、対話の途中で、満州国にでも大きな仕事はないだろうかと、そんな相談をもちかけられた。

また、人のいないスイスの村を

しーんと静まりかえった村の様子には、シュールリアリズムの絵画のように、妖気がただよう。そんな光景に、泉鏡花の小説『高野聖』が思いだされ、私はそそくさと無住の村を通り抜けた。

少しホラーがかった一面も。

時代が第二次世界大戦の開戦間際ということもあり、どうしても暗い話題は避けられない。最後は、間一髪日本へ帰国する避難船に乗り込むところで終わるのであるが、

一般にスカンジナビア系の国々では、スイスを含めて、ポスターの美的センスはモダンで、魅力的なものが多い。

やっぱり日本人はヨーロッパの美的センスはいつの時代でも憧れる!みたいな。

宮脇檀のエッセイも好きで読んでいたが、また誰か建築家のエッセイ読みたい。建築家はなかなか分析的で面白く納得させられる。

この1冊でした

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